大正期の教科書を購入す。


 朝より古文を勉強する。枕草子の問題あり。予には難問たり。譯讀本を近くの古書店にて買い求むる。共に中等作文なる大正期の教科書を購入す。歸宅し中等作文を読む。頗る愉快なり。愉快なる爲ここにその一部を引用す。引用するは「第八課  日記を必ず書け」なり。

第八課 日記を必ず書け
 假名づかひをあらまし覺えたら、知らぬ字は皆假名で書いても敢て恥づかしくは無いから、もうどんな事でも書けない事はない。若し書けない事があるとすれば、それは書きなれないからである。されば我々は毎日何かにつけて文を書く習慣をつくり下手でも何でもかまはず、文を書く樣にせねばならぬ。かやうな習慣は頗るよい習慣でぢきに文章の手が上り、又筆まめ筆まめに圏点)になつて一代の徳となる。
 毎日文を書く稽古をするには、その日々々々の日記を、如何なる日も休まず書く樣にするば一番である。日記のつけ方は委しいのや略なのや種々あるが、普通人、學生でも出來るのは左の書き方である。
七月一日(水曜)晴
午前五時半起床。昨日までは六時に起きしも今日より三十分くり上ぐ。朝は早きほど爽快なり。冷水摩拭の後ち、朝飯までに「ロビンソンクルーソー」を十頁讀む。
七時四十分登校す。算術の問題さらゝゝと出來、大いに愉快。
歸宅の路、本町通りは大掃除にて、塵埃飛び不潔、物道路に山積し、臭気堪へ難し。由て迂回して大川堤をつたひて歸る。
學課復習後、夜十時まで「ロビンソン」のつゞきを讀む。
七月二日(木曜)むしあつし、気温八十一度に上る。
朝のくらかりし爲、十五分寝過ごし、ロビンソンを讀む能はず。「朝起きは三文の紱」といふ事さへあるに予は朝寝にて十頁を損したり。
學校にては、英語の譯讀不出來にて残念なりき。級中、上川君が英語の發音に巧なるは、もと長崎にて西洋人に教へられし事あるに由る。然れども今學年に我々と共に始めてABCの文字を見たる中谷君が、譯読、書取共に上川君以上なるは、是勉強の力なり。勉強なる哉勉強なるかな。
午後〇時三十分歸宅。東京の兄上より手紙来る。この十八日に歸宅すべしとの報知なり。夜母上の代筆して、兄上へ手紙を出す。
今日の買物 金三錢 鉛筆一本
金四錢五厘 黒インキ
計金七錢五厘也
毎日此の位づつ書いても、十分手は上る。或はもつと委しく書いてもよい。また此の通りに文語文で書かずとも口語文で書いてもよい。兎に角一日も缺かさず書く事にしたい。但し見えを張つてうそ(うそに圏点)を書いてはならぬ。又猥りに他人の悪口を書いてはならぬ。

閑話休題。(口語体に戻す)

文章は兎に角書かないと上達しない。書けないのは、ただ書きなれてないだけだというのも納得できる。堅い文語体の方がいまの自分にはしっくりくる。和綴じの本ってこの本最初の購入かも。文語体は昔の名文を朗読すればいいのじゃ! と断言してるところが頗る心地が良い。とにかく、ごちゃごちゃ言わずに諳誦、諳誦、諳誦である。