真面目に読書感想文を書いてみた。

本当に頭がよくなる1分間勉強法

本当に頭がよくなる1分間勉強法


肩書きがあれば人は目がくらむというほど莫迦ではない。
 腑に落ちない本であった。
 そもそも「代々木ゼミナール模試6万人中1位、Z会慶応大学模試全国1位を獲得!」だの冒頭で自慢話から入るのが気にくわない。そして地方アナウンサーを誇りにしているが、どうにもずらずらと権威付けして権威をつけてさえいれば人は信じ込ませられる。見え透いているようにしか見えない。
 これは近々の読了本が加藤締三師のものだからということもあるだろう。
 加藤締三師の書籍にはことあるごとにこのような権威付けして周りに尊敬を求める人間を哀れだという。寂しい人間だという。満ち足りていない人間だという。そして尊敬を求める人間には尊敬は得られない。尊敬を得ている人間は周りが自然に尊敬する。では尊敬されている人はなにを求めるのか。何のことはない。人とのつながりである。コミュニケーションである。筆者はコミュニケーションに満ち足りているのか。コミュニケーションというのは一方的ではない双方的であってはじめてコミュニケーションと呼べる。「1分間読書・1分間勉強法」に絶対の自負があるのならば嘘偽りなく真実を伝えればいいじゃないか。そこには肩書きや地位や境遇は必要ではない。そのようなことを喧伝すればするほどしょぼい真実を隠蔽しようとするチンケな自分が白日の下にさらされる。



高橋メゾットのような書き方は書籍にはそのまま転用できない。
 そして次に感じたのがすらすらと読めてあまり心に残らない文体である。
 その文体とはまるで、プレゼンテーションの方法である高橋メゾットのような文体である。言いたいこと、言わなければならないことをひたすら一言一句漏らさずにフリップに書く。あの高橋メゾットのような文体である。
 高橋メゾットは印象には残るが行間や含意性に関しては弱い。プレゼンテーションにおいて効用を十二分に発揮するメゾットだからである。テンポがあるプレゼンテーションを構成する要素に行間や含意があると聴衆は考え込んで眠くなってしまう。行間や含意に堪えられる聴衆であれば高橋メゾットという飛び道具はいらない。
 殊に書籍という媒体で高橋メゾットは効用を発揮しにくい。高橋メゾットはワンフレーズポリテクス。書籍ではどうにも一度に目に入る文章量が多すぎてワンフレーズポリテクスにならない。



実際の1分間読書の指す書籍はどんな書籍?
 本中には「10分間読書(テンミニッツリーディング)」「5分間読書(ファイブミニッツリーディング)」「1分間読書(ワンミニッツリーディング)」というものが出てくる。
 その中でも「誰でも直ぐに出来るよ」そんな形でまるでカップラーメンでも作るように紹介されている10分間読書は本当に簡単そうだった。なので、実際に10分間読書のやり方紹介以後はそのやり方で読んでみることにした。
 だから、本文中に出てくる10分間読書を実際に行ってみてのレビューなのである。
 10分間読書を実際にやってみて色々と考えさせられた。その中の一つにこの本文中での最強の型である「1分間読書」の方法は速読術にあらず、よって優良人種の如何に関わらずたとえ私のような凡愚の徒であろうと習得が可能であり、高みを目指すことが可能なのである。臆面もなく述べられている。
 ここでその1分間読書のおおまかな方法を確認しておきたい。

1.0.5秒ごとにページをめくりそのページごとのイメージを掴んでいく。
2.ここはよく分からないが何とかなく良いことが書いていそうな気がするというページにはドッグイヤーをする。
3.内容を決して把握しようとはしない。

 つまり、1分間読書というのは見開き2ページを0.5秒ごとにめくるので「2×120=240」240ページ見当で約1冊という計算方法だ。240ページというページ数というものはどのくらいの書籍をさすのか。私の手元にいくつかの書籍からページ数の見当をつけてみたい。

『東大入試 至高の国語「第2問」』/竹内康浩 朝日新聞出版 240ページ
『人権を疑え』/宮崎哲弥 洋泉社 204ページ
『モテる技術』/デビットコープランド 小学館プロダクション 562ページ
『自分に素直になれば安らぎがくる ―愛し愛される心理―』/加藤締三 大和出版 226ページ
化物語』(上)/西尾維新 講談社BOX 456ページ
狼と香辛料』/支倉凍砂 電撃文庫 356ページ

 実際に検分する以前までは240ページは少ないという印象を持っていた。しかし、実際に検分してみると240ページという分量は新書やエッセイ1冊分であり、小説やラノベでは少ないという結果になった。筆者が指す「書籍1冊」とは新書やエッセイ程度のものだとみることができる。そして小説ではこの1分間読書というものは有用でないということを暗示しているのかもしれない。だって、筆者は小説を「標準的な書籍」として認識していないから。
 おおまかな方法と筆者が標準的な書籍としている「240ページ」という分量と対象内の書籍の種類からみてもフォトリーディングとの明確な差異を見つけられなかった。フォトリーディングはビジネス書や新書で真価が発揮される。小説はじっくりと余生の愉しみにとっておけばよい。そんな速読術だ。言い換えれば小説は内容を1から10まで把握する読書法である味読、精読にその任をゆずるのである。
 さらに、本文では「1分間読書は決して速読ではありません。ですから、誰でも簡単に2日間訓練をすれば習得できます!」と語られる。



速読術と似たようなものだと言えばいいのに。
 私はフォトリーディングをはじめとする他の速読術をも身につけていない。しかし、この本を手にとっている人は私と同様に概ね速読術を身につけていない人ではないだろうか。少なくとも「速読術ではありません」と明言している以上、読者層の一部には想定されているはずである。よって「2日間訓練すれば」という大言は反駁することができる。
「1分間読書は速読術です。ですから、誰でも簡単に2日間なんて短い期間では訓練期間が短すぎます」
 少々やっかみのある言い方になってしまった。そのやっかみは自分の乱読や速読に対する憧れからきているのは言うまでもないことなのだが、それを差し引いても胡散臭さは残る。
 さらに言えば「音として再生するのではなくイメージで把握する」いうが出来ない私にとっては速読術すらもどうしても胡散臭い。先日目にした「音として再生させないためにはベロを動かし奇声を絶えず発声しながらイメージをとらえようとしたら出来る」というのも奇声を発声しても脳の中でしっかり音として再生されていた。すごく画期的な方法なのだろうけど、それすらもだめな私が不信感を持つのは当然であり、その亜流としてしか見られない。この1分間読書も胡散臭いのだ。
 けれども、速読術をどうにかして身につけたい気はまだある。ここが最後まで文句と不信感を抱きながら読了できた要因である。



1分間勉強法には見所がある。
 1分間読書と同時にこの書籍のタイトルである1分間勉強法は案外使えそうだった。大まかな勉強法を紹介すると、

1. 1分間読書でドッグイヤーしていたものから大事なところを4段階に分け書き抜く。
2. 4段階はそれぞれ4色に色分けする。
3. そしてさらに書くノートも色分けをされたカラーマジックシートを用いる。

 この方法は私が今でも活用している『読書は1冊のノートにまとめなさい』/(奥野宣之 著)に出てくる「読書ノート」と『三色ボールペンで読む日本語』/(斎藤孝 著)に出てくる「3色ボールペン情報整理術」の良いところ取りのような情報整理術なのである。4色を使い分ける理由に関しては「左脳は論理的で、右脳はイメージ的」と言われるように右脳は色のイメージによく反応するということらしい。



私の世界をがらりと変えるような書籍と出遭いたいものだ。
 私は半生の中でそれなりに読書歴を重ねてきた。
 そのなかでより多くの書籍に触れたい。乱読・味読・精読、様々な読書法を身につけたいという欲求が絶えずある。然しながら、私の世界を変えるほどの読書法に出会えていない。もしあるとするならば、受験生時代に出会ったパラグラフリーディングくらいのものである。
 読書とは「世界の見方をがらりと変える力を持つ」と信じている。そしてこの書籍は私の世界をがらりと変える力を有してはいなかった。